加藤文太郎とは
明治38年(1905年)、兵庫県の浜坂(現在の新温泉町)に生まれ、14歳で三菱内燃機製作所(現在の三菱重工神戸造船所)に製図修習生として入社し、仲間の影響で山歩きを始める。
当時の登山は、案内人と荷物持ちを雇って大勢で登るお金持ちのスポーツで、単独登山は非常識とされていた。
そんな中、加藤文太郎(文ちゃん)は普段着に地下足袋、大きなリュック、道具は手作りでかまぼこや甘納豆、干した小魚を持って単独登山をやっていた。
文ちゃんは人並外れた速さで歩くことから、登山仲間に名前を知られるようになった。
『文ちゃんは鍛え方が半端ない』
文ちゃんは通勤するときには石を詰めたザックを背負い足腰を鍛え、休みの日にはたびたび、神戸から浜坂の自宅まで約160キロを一日で歩いて帰っていた。
須磨から宝塚までの六甲全山縦走を朝5時に出発して往復100キロを17時間で歩き、次の日には普通に仕事をしていた。
1月の厳冬期に10日間にわたる単独での北アルプス縦走を成し遂げ、「単独登攀の加藤」「不死身の加藤」と呼ばれるようになった。
文ちゃんは30歳の時に真冬の槍ヶ岳で遭難して亡くなりました。
文ちゃんの使っていた登山道具や写真などは兵庫県新温泉町にある加藤文太郎記念図書館に展示してあるので、是非、見に行ってください。
文ちゃんの短い生涯には、たくさんのドラマがあります。
小説もあるので読んでみてください。めっちゃ面白いです。